論文:消防組織におけるパワーハラスメントの実態と課題

 —群馬県利根沼田広域消防本部における事案を事例として—

要旨

本稿は、群馬県利根沼田広域消防本部で発生した複数のパワーハラスメント事案を事例として、消防組織に内在するハラスメントの温床と、それが組織に与える影響について考察するものである。厳格な階級制度や閉鎖的な組織風土が、指導と称する不適切な言動や暴力行為を助長する構造を明らかにし、再発防止に向けた組織改革の必要性を論じる。本稿は、今後の公務員組織における健全な職場環境構築に向けた一考察として寄与する。

1. はじめに

近年、社会全体でパワーハラスメント(以下、パワハラ)に対する認識が高まる中、公務員組織においてもその実態が次々と明らかになっている。特に、消防組織のように厳格な規律と上下関係が求められる職場では、指導の逸脱や不適切なコミュニケーションがパワハラに発展するケースが少なくない。本稿では、2025年5月に公表された群馬県利根沼田広域消防本部の職員に対する懲戒処分事案を題材に、消防組織におけるパワハラの構造的要因と、その解決に向けた課題を分析する。

2. 事案の概要

2025年5月23日、群馬県利根沼田広域消防本部は、複数のハラスメント事案に関与した2名の職員を懲戒処分とした。

  • 50代男性職員: 複数の職員に対し、指導に不必要な不適切な発言を繰り返し、また身体への過度な接触によって精神的・肉体的苦痛を与えたとして、減給10分の1(3カ月)の処分を受けた。

  • 30代男性職員: 複数の職員に対し、不適切な発言に加え、胸ぐらをつかみ恫喝するなどの暴力的なパワハラを行ったとして、減給10分の1(3カ月)の処分を受けた。

これらの事案に加え、懲戒処分には至らないものの、さらに2件のハラスメント事案が確認された。これにより、管理監督責任として消防長および課長級職員が処分を受けている。

3. 考察:消防組織に内在するパワハラの構造

これらの事案は、単なる個人の資質の問題に留まらない、組織的な要因が背景にあると推察される。

3.1 階級制度の負の側面 消防組織は、災害現場での迅速かつ正確な指揮系統を確立するため、厳格な階級制度が不可欠である。しかし、この制度が「絶対服従」を強いる形で運用されると、上司の不適切な言動や指導が正当化されやすくなる。「指導だから仕方がない」という風潮は、被害者が声を上げにくい環境を生み出す。特に、胸ぐらをつかむといった暴力的な行為が、懲戒処分を受けるまで看過されていた事実は、階級制度がハラスメントを許容する歪んだ文化を形成していた可能性を示唆している。

3.2 閉鎖的な組織風土とコミュニケーションの欠如 24時間勤務体制やチーム行動が主体となる消防署は、同僚との関係性が非常に濃密になる閉鎖的なコミュニティを形成しやすい。これにより、仲間意識が高まる一方で、問題が発生した際に外部に助けを求めにくい状況が生まれる。ハラスメントは、被害者と加害者の間で起こる個人的な問題ではなく、周囲の沈黙や見て見ぬふりによって助長されることが多い。今回の複数の事案は、組織内での健全なコミュニケーションや相談体制が機能していなかったことを示唆している。

3.3 組織の倫理観と住民の信頼 消防署は、住民の生命と財産を守るという公共性の高い職務を担っており、高い倫理観が求められる。にもかかわらず、組織内でパワハラが常態化しているとすれば、それは職務遂行能力の低下だけでなく、住民からの信頼を根本から損なう事態である。消防長が謝罪コメントを発表したように、事案の公表は組織の信頼失墜を招き、今後の活動にも影響を及ぼしかねない。

4. 課題と展望

今回の事案を受けて発表された再発防止策は、マニュアルの再確認や会議の開催といった形式的なものが中心である。これらの対策を実効性のあるものとするためには、以下の課題に取り組む必要がある。

  • 意識改革の徹底: 指導のあり方について、全職員が共通の認識を持つための研修を徹底する。特に管理職に対し、パワハラの定義や部下の育成方法に関する専門的な教育を行う必要がある。

  • 相談体制の強化: 内部の窓口だけでなく、匿名性が確保された外部の相談窓口を設置するなど、被害者が安心して声を上げられる仕組みを構築する。

  • 組織文化の変革: 「根性論」や「旧来の指導法」といった時代遅れの価値観を見直し、職員の個性や多様性を尊重する風土を醸成する。

5. 結論

群馬県利根沼田広域消防本部で発生した一連のパワハラ事案は、日本の消防組織が直面する構造的な課題を浮き彫りにした。厳格な階級制度を維持しつつも、ハラスメントのない健全な職場環境を築くためには、組織全体で意識改革と具体的な行動変容が求められる。これは利根沼田広域消防本部に限らず、同様の課題を抱える他の公務員組織にとっても、重要な教訓となるだろう。

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