国立病院機構沼田病院の現状と地域医療に関する考察
1. はじめに
国立病院機構(NHO)は、2004年に設立され、「国民一人ひとりの健康と我が国の医療の向上」を理念に掲げる独立行政法人です。全国に140の病院と約64,000人の職員を擁し、日本の医療提供体制を支える重要な役割を担っています。
群馬県利根沼田地域の中核病院である独立行政法人国立病院機構沼田病院が、経営悪化と医師不足により、その存廃を含めた議論の対象となっているのは、このような大規模な組織において、病院の将来的な機能や経営について地域と協議に入る初の事例であり、地域医療の維持が困難になる可能性を象徴する出来事です。本稿では、複数の報道や病院情報、そして住民の声を基に、沼田病院が直面する課題の背景を多角的に分析し、今後の地域医療のあり方について考察します。
沼田病院の小川哲史院長は、就任挨拶の中で、日本全体で進む少子高齢化と医療現場における深刻な医師不足に言及し、「非常に厳しい状況」にあるとの認識を示しています。その上で、沼田病院が規模は小さいながらも、がん診療、救急、へき地医療、感染症対応など多岐にわたる使命を担っていることを強調し、限られた医療資源を有効に活用して地域医療の充実に努める決意を表明しています。沼田病院は「威張らず、謙虚さとひたむきな努力」を基本理念とし、患者さんの心に通う「全人的医療」を目指しています。その行動姿勢として「現場主義」「実績主義」「患者中心主義」「チーム医療」を掲げ、質の高い医療の提供を追求してきました。
2. 沼田病院の歴史と地域における役割
沼田病院は、1941年に沼田陸軍病院として創設され、戦後1945年に国立沼田病院として発足した歴史ある医療機関です。2004年に独立行政法人国立病院機構へ移行して以降も、以下のような多様な役割を担い、地域社会に深く根ざした医療を提供してきました。
災害拠点病院 災害拠点病院は、24時間体制で災害緊急対応が可能であり、被災地域の傷病者の受け入れや搬出、ヘリコプターを使用した重症傷病者の受け入れ・搬送、消防機関と連携した医療救護班の派遣体制などを備え、災害時における初期救急医療体制の充実・強化を図る医療機関です。
へき地医療と巡回診療 広大な山間部を擁する利根沼田地域の地理的課題に対応するため、医師、看護師、事務兼運転手の3名体制で巡回車にて「へき地巡回診療」を実施し、住民にとって不可欠なサービスを提供しています。
がん医療 沼田病院は、「群馬県がん診療連携推進病院」として、既存の診療ガイドラインに基づいた標準治療、進行・再発症例に対する集学的治療、緩和ケアチームによるケア、そして地域のがん医療従事者や市民向けの研修会・講演会の開催を通じて、地域のがん医療水準向上に貢献しています。
救急・感染症医療 地域の救急医療において、全体の約9%の患者を受け入れています。また、「第二種感染症指定医療機関」として感染症医療の役割も担っています。
3. 経営悪化の要因分析
沼田病院が直面する危機は、複合的な要因によって引き起こされています。
患者数の激減: 報道によると、入院患者数は2004年度の1日平均152人から、2024年度には64人まで減少しました。これは20年間で約5分の2に落ち込んだ計算となり、地域の人口減少が病院経営に直接的な打撃を与えています。
深刻な財政状況: 患者数減少に伴い、病院の経営は慢性的な赤字に陥っています。2024年度の単体決算では約4億7300万円の赤字、累積債務超過額は15億円を超えています。この財務状況では、現状の規模を維持することは極めて困難です。
医師不足と高齢化: 2004年に18人いた常勤医師は、現在は10人にまで減少しています。また、医師の平均年齢も約60歳と高齢化が進んでおり、将来的な医師の確保はさらに困難になると予想されます。これは、全国的な医師の偏在問題が、地方の医療現場に顕著に現れた事例と言えます。
地域における競合: 住民のクチコミからも示唆されるように、近隣にはドクターヘリ対応の基幹病院など他の医療機関が存在し、患者はより専門性や利便性の高い病院を選ぶ傾向にあります。沼田病院に「強み」がないという指摘もあり、他の病院との役割分担が進む中で、患者の流出が加速していると考察されます。
4. 住民の声と今後の課題
利根沼田地域の5市町村や沼田病院を含む7病院の関係者ら約25人が出席した協議会では、沼田病院の医療機能維持は「大変厳しい状況」であるとの認識が共有されました。出席者からは「地元の事情をよく知る医療機関を残してほしい」といった存続を求める声が上がっています。一方、Googleのクチコミや報道のコメント欄からは、病院への感謝の声と同時に、一部医師の対応や事務手続きへの不満も散見され、患者離れの遠因となっている可能性が示唆されます。
沼田病院は「患者中心主義」を掲げているものの、こうした住民の声は、理念と現実の間に乖離が生じている可能性を示唆しています。今後の協議では、沼田病院の診療科縮小、病床数削減、あるいは診療所への転換といった選択肢が検討される見込みです。しかし、この議論の最大の課題は、沼田病院が担ってきたへき地医療、災害医療、救急医療(地域の9%を担っている)、感染症医療といった、他の病院では代替が難しい機能をどう維持するか、という点に集約されます。県は、この協議会の開催頻度を年1〜2回から増やし、対応策について話し合う予定です。
5. 結論
沼田病院の問題は、単一の病院経営の失敗ではなく、人口減少、医師不足、医療資源の偏在といった、日本全体が直面する構造的な課題が凝縮された事例です。沼田病院が担ってきた医療機能、特に巡回診療のようなへき地医療は、地域の地理的・社会的な特性に深く根差したものであり、安易な規模縮小や廃止は、地域住民の生命と生活を脅かす深刻な「医療の空白」を生じさせる恐れがあります。
この問題の解決には、病院単体や地域自治体の努力だけでなく、国立病院機構および国による新たな医療提供体制の構築に向けたリーダーシップが不可欠です。地域医療の未来を左右する重要な議論として、今後の動向が注視されます。
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